語りのなかにこそ妖怪が棲む

堀田 穣 教授
堀田 穣教授
〈専門〉都市文化史、図書館情報学。〈担当科目〉都市文化史、妖怪文化論B、司書課程科目。〈最終学歴・職歴〉神戸大学文学部哲学科哲学専攻・国立民族学博物館情報管理施設資料室など。〈代表著書・論文〉「成立史上における『紙芝居の作り方』の位置―紙芝居に関する最初の単行本、その意義と著者久能龍太郎のこと」単著、『比較日本文化研究』第11号。
フィールドワーク先の山中で薪割り 都市伝説というコトバが、日本に登場したのは1988年にアメリカの民俗学者、ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』が大月隆寛、重信幸彦ら日本の若い民俗学者によって訳された、アーバン・レジェンド(Urban Legend)の訳語としての都市伝説、が最初のようです。それまで、このような、ファストフードは実はネコやミミズの肉だとか、下水道には目の見えない白いワニが住んでいるとかいう話は、日本の民俗学では世間話という項目に分類されていました。そのことを飽き足りなく思っていた大月たちがインパクトのあるコトバとして「都市伝説」を選んだのでした。この意図はかなり成功し、今では高校生でも「都市伝説」というコトバを口にするようになりました。
稲生モノノケ録のヒーロー稲生武太夫の碑  ちょうど時代がそのような傾向になりつつあったのでしょう。といいますのも、1990年に入ってから、子ども向けの図書『学校の怪談』が大ヒットします。これは常光徹著としての講談社KK文庫版が第9巻(1997)まで、日本民話の会学校の怪談編集委員会編でポプラ社から全15巻(1996)が出て、いずれもミリオンセラーになりました。ポプラ社版の編集委員会には常光徹もふくまれており、常光は中学校の教師をしながら民俗調査をしていた民俗学者でした。これらの本は図書館などで、多くの子どもに借りられましたし、90年代後半には映画も4本制作され、校庭の二宮金次郎像が歩き出したり、音楽室のベートーベンの肖像画が笑ったりする映像が流れました。学校は基本的には、教育という近代を支える理性と論理の神殿であり、この世は魔法ではなく科学で動いているということを、子どもたちに教え込む機関です。しかし、『トイレの花子さん』に代表される学校の便所などの舞台は、文字ではない感覚の世界、名目ではない身体生理の世界なのです。
ドル紙幣を折ると崩壊した貿易センタービルが現れる都市伝説  さらに1985年には『妖怪の民俗学』が宮田登によって世に出されていました。民俗学が郷土や田舎ばかりを対象にしていた学問から、都市民俗学という呼び方で、都市を相手にする学問にしようと企画していたのも宮田でした。そしてその新たな土地を拓くための主要な農具は、江戸東京という大都市に起こった怪異・妖怪現象の解明なのでした。宮田は江戸という大都市の開発が、怪異・妖怪現象をもたらしたと考えていました。これは高畑勲監督のアニメ『平成狸合戦ぽんぽこ』にもつながる視点です。宮田登の系譜につながる妖怪文化研究の第1人者、人間文化学部特別招聘客員教授の小松和彦先生の還暦記念論集『日本文化の人類学/異文化の民俗学』に私、堀田は「『平成狸合戦ぽんぽこ』のなかの百鬼夜行―妖怪のイコノグラフィー―」という論文を寄せています。
 1980年代後半からはじまったこれらの試みは、たまたますべて民俗学者たちが関わっていましたが、それはそれまで都市の文化の歴史を考えるときに、民俗学はカヤの外だったということにすぎません。妖怪・怪異現象は確かに最初、自然への畏怖感から起こりました。しかし、それが人間社会に広がり、発展するためには、人間の「語り」行為が不可欠なのでした。「聞いたか?知ってるか?こんなことがあって…」「それから?それからどうなったの?」という会話が、怪異や妖怪という文化を育てたのでした。そう考えると、都市で妖怪が人間を脅かし、怪談が語られるのは、おかしなことではありません。都市文化史の都市は、都市伝説の都市だと説明する所以です。  私たち歴史民俗学専攻は、今のところ唯一、このような現象を学問として追いかけることのできる所です。語りの追求ばかりでなく、絵の中の妖怪つまり妖怪の画像表現等にも研究は及んでいます。