平安文学のヒーローたち

山本 淳子 教授
山本 淳子教授
日本文学(平安文学)専攻。「日本文学概論」「日本の文学」などの授業を担当。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。著書『源氏物語の時代』でサントリー学芸賞受賞。ほかに『紫式部集論』『ビギナーズクラシックス日本の古典 紫式部日記』など。
平安貴族の宴の料理(再現) 平安時代の物語の歴史は、現代の少女マンガの歴史とよく似ています。物語は初期の頃には男性が作り手でした。そしてその内容は、例えば竹の中から女の子が現われ、最後は月の世界へ帰る『竹取物語』のように、現実離れしたファンタジーが主でした。
少女マンガも、例えば赤塚不二夫の『ひみつのアッコちゃん』、横山光輝の『魔法使いサリー』のように、男性作家による初期の作品はファンタジー揃いでした。当時の男性作家や編集者は、女の子にはそうした内容が受けると思っていたのでしょう。ところがその実、読者は彼らの数歩前を歩いていました。手塚治虫の弟子で、石ノ森章太郎らと同じ「トキワ荘」で女性としてただ一人活動していた水野英子が発表した『ファイヤー!』は、ベトナム戦争期のアメリカを舞台に、ロックボーカリストとして少年院からスターへと這い上がる少年の栄光と挫折を描いた、まさにリアリズム作品でした。この作品は女子高校生を中心に連載時から大反響を巻き起こし、1970年の小学館漫画賞を受賞しています。
 女性作家・紫式部の手による『源氏物語』も、似た状況から生まれました。大人の女性たちは、男性作家が書く物語の子供っぽさに不満を感じていました。物語は嘘ばかり、私の実体験をお聞きなさい、と始まるのが道綱母の手記『蜻蛉日記』です。政界の大立者・藤原兼家との結婚生活を赤裸々に綴ったこの作品は人気を得、後年には歴史物語『大鏡』の記事にまで取り上げられました。
歴史民俗・日本語日本文化学科  『源氏物語』はこうした大人の読者の意を汲んで、ストーリーには物語らしいドラマ性を保たせつつ、しかし登場人物の心理には意地悪なほどリアリティーを徹底させた作品です。そのため、主人公に素敵であってほしいと願う読者の幻想はしばしば裏切られます。光源氏は中年になって妻に密通され、自分も若い頃には密通した経験があるのに妻を許せない、心の狭さをさらけ出します。また彼の息子も、純愛を貫いて結婚したはずが、やがて他の女性を愛し、家庭崩壊の危機に遭います。
 次のページにあるのは、平安物語六作品のヒーローたちを分析したチャートです。自分がどの主人公のタイプに近いか、YESとNOで辿って楽しめるようになっています。
 作品を成立年代順に並べると、E『竹取物語』→A『伊勢物語』→C『うつほ物語』→F『落窪物語』→B『源氏物語』→D『狭衣物語』となります。竹取の帝はこの世の権力を代表する人物としてかぐや姫を愛し、彼女が去ると「不死の薬」を潔く燃やした英雄です。『伊勢物語』の在原業平は権力を飛び越えて帝の婚約者を奪おうとした、恋の冒険者です。『うつほ物語』の仲忠は妻の難産には自分も水を浴びて痛みを分かち合い、『落窪物語』の道頼はただ一人愛する彼女を虐待から救い出しました。しかし『源氏物語』の光源氏は、女性遍歴のあげく、妻の紫の上に死なれて萎れかえります。『狭衣物語』の狭衣大将は縁談を拒否しながらその相手の女性を犯すという不可解さを見せ、最後は帝になるがその心は楽しくなかった、というのが結末です。
 格好いい絵空事から格好悪いリアリティーへ。幸福よりも苦悩、夢物語よりも現実主義へ。それこそが、平安朝物語が果たした「成熟」だったのです。