人は病気になったり大けがをした時、何を考えるでしょうか?

伊原 千晶 准教授
伊原 千晶准教授
専門は臨床心理学。担当科目は臨床心理学Ⅱ、カウンセリング論、学校臨床心理学など。最終学歴・職歴は京都大学大学院教育学研究科 博士後期課程満期退学。非常勤では児童相談所判定員、精神科病院心理士、スクールカウンセラーとして勤務。平成8年4月~京都学園大学法学部専任講師。11年4月~京都学園大学人間文化学部准教授 現在に至る
(写真1)ミュンヘン大学緩和ケア病棟入口 日本においては医学というと、たいてい「身体」を対象にしており、合理的で無機質な印象になることが多いものです。しかしドイツでは、医師国家試験科目に心理学が入っているくらい、事態は全く異なりました。私は2004年4月から1年間ドイツ・ハイデルベルグ大学医学部医療心理学講座に留学していましたが、そこでは教室員はみな、心が潤うような雰囲気を大事にしていました。クライエントや学生が訪れる医療心理学の建物内には多くの絵が掛けられ、授業やワークショップが実施されるホールは木張りに改装されていて、音楽療法をやるスタッフが用いているピアノや木琴、さらには銅鑼や太鼓、アフリカの楽器などが置かれていました。教室では、医学生への心理学教育と共に、不妊症に悩む夫婦や末期がん患者に対するセラピーが行われていました。主任教授のVerres先生は医学を通して人間存在の深い次元に触れ、超越について考えることの重要性を強く認識していて、様々な苦悩を否認せず、その意味について考えることを実践していました。
 ターミナル・ケアへの関心から訪れたミュンヘン大学医学部・学際的緩和ケアセンターにおいても同様に、患者や家族の心への配慮がなされていました。ロビーは落ち着いた雰囲気で、医師対象の研修会でも、参加者が自分の心を開き易いように、様々な工夫がなされていました(写真1)。病棟も各室に広いバルコニーが付いていて、病室からベッドごと外に出られるようになっていました。ここでは末期がん患者への心理的サポートの有用性を評価するために、「Meaning in Life」に関する質問紙を作成して研究しており、私も共同研究者として日本で同様の研究を実施しました。
 第二次世界大戦におけるナチス収容所での経験から、Franklは人間はいかなる状況においても意味を求め、また意味を見出しうる存在だと考えましたが、同時に生きる意味が見出せず無意味感に悩むと実存的空虚に陥ると考えました。また医療心理学者Antonovskyも、人間が健康でいられる要因として「意味を見出していること」を挙げています。
 みなさんも「自分はこの人のために生きているんだ!」という幸せな感慨を抱いたり、逆に「一体何のためにこの世に生れて来たのか…」と深く物思いに沈んだことがあるでしょう。自らが生きている意味は、「生きる喜び」が主となる「生きがい」を超えた、まさに死を前にしても見出し得る、人間の根本的な価値です。しかし日本での調査を実施してみて、今の日本においては、こういったことについて考えることを負担だと考える人がたくさんおられることがわかって来ました。また宗教アレルギーとでも呼ぶべき、宗教への違和感が強いことも感じられました。
ミュンヘン大学緩和ケア病棟(手前の建物)  人が病に倒れた時に死を意識します。しかし死を意識することは、生を意識することでもあるのです。そしてその時、人は自分が生きている意味を自らに問いかけます。それは苦しい営みであることもありますが、他の人たちとのつながりをもう一度意識したり、自分を超えた存在や力を感じることで、生きていることを実感させてくれることもあります。
 残念ながら、現代の日本の心の問題には、「生きることの意味」の喪失が絡んでいると思われます。例えば、スクールカウンセラーとして今の中学生・高校生と面接する時、彼らの心の奥底には、自分が生きていることの意味を十分に見出せない苦悩が潜んでいるように感じます。彼らはその空虚感を誤魔化すために衝動的で刹那的な行動へ走ります。また、特定の宗教を持たないとされながらも新興宗教にのめりこんだり、薬物や性行動の濫用に走ったりする原因には、人生の意味の喪失があると考えられます。ネットで仲間を募って自殺する若者は物質的には満たされながらも、生きている意味を見出せなかったのでしょう。臨床心理士として心の問題への援助を続けていく際の視点として、生きることの意味について、今後も研究を続ける必要があると言えるでしょう。