ものの見方の個人差―体験様式

飯野 秀子 准教授
飯野 秀子准教授
専門は心理臨床学。臨床心理実習・臨床心理基礎実習(大学院)担当。論文「最早期記憶インタビューとロールシャッハ法の陰影反応から見た個人の基礎的体験様式の検討」他。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。
 あなたは、自分が今目の前に見ている〝現実〟が、隣の人が見ている〝現実〟と、もしかしたら違うかも、と思ったことはありますか? 私は昔、カラー印刷の本を眺めながらふと思いつき、片目ずつ閉じて見比べたことがあります。すると、右目が見た〝赤〟と左目が見た〝赤〟が、わずかに異なって感じられました。片方ではやや青っぽく、もう一方は若干黄みがかって。手にしている本は一つなのに、左右の目が見たものは違う。自分が何を見ているのか、見ている〝私〟とは何か…と、大きな戸惑いを覚えました。次に私は、自分の左右の目が見た〝赤〟が違うのなら、それでは他の人が見ている〝赤〟は?と考え、途方にくれました。「そんなことが一体どうしたら分かる?だって私は絶対に他の人の目を通して見ることなんかできない!」同時に次のようにも感じました。「でも現実には、違うかもと思いながら、お互いに『赤だよね』と言って、それでやっていくしかないのか?」。当時の私には、この疑問を、誰かに伝えられる言葉にすることはできませんでした。
人から見た風景・ハエから見た風景・軟体動物から見た風景・(岩波文庫『生物から見た世界』、四二-四三貢、図11より転載)  さて、私は現在、心理臨床の場でカウンセリングを行っています。カウンセラーとしての私は、来談された方と会いつつ、「この方には、自分が生きる世界がどのように見えているのだろう」という問いを抱き、その理解に近づこうとします。また心理臨床学における研究テーマとしては、この文章のタイトルにあげた〝体験様式〟(体験の仕方)というものを考えています。〝どういう世界を生きているのか〟とか、〝体験様式〟とは、最初に述べた体験になぞれば、〝他の人が見ている赤はどのようなものか〟、そして、〝私の赤の見え方と他の人の赤の見え方は、なぜ、どのように違うのか〟ということになるでしょう。さらに、〝青っぽい赤を見やすい人と、黄色っぽい赤を見やすい人、それぞれの特徴は?その違いは何から来るのか?〟ということにも繋がってきます。
 ものの見方についての研究は、様々な学問分野で行われています。次ページの図は、街路の風景を人とハエと軟体動物が見たところを、ユクスキュルという二十世紀前半の生物学者が想像したものです(図1)。ユクスキュルは、ごく簡単に言うと、主体となる生物は、環境の中から自分にとって意味あるものを拾い出し、それが、主体となるその生物の世界を構成している、としました。例えば、ある昆虫にとっては、食物や交尾の相手を見つける際に重要な意味を持つものだけが、その昆虫の世界を構成すると言えます。ここで大切なのは、〝その主体にとって意味あるもの〟です。そして昆虫と同様人もまた、自分にとって意味あるものを中心に、自分の世界を作り上げていると考えられるのです。
 こうした意味での、人にとっての世界体験の仕方というものを、私は心理臨床学という領域で考えています。ここで私は、世界の体験の仕方の基礎として、人が何を最も意味あるものとしているのか、そこには基本的な構えのようなものの個人差があるのではないかと仮定し、ロールシャッハ法といういわゆるインクのしみを使った心理検査技法などを通じて検討しています。ちなみにこの技法は、その創案者が人の〝体験受け入れ装置〟を知るための方法として考えたものです。
 作家の塩野七生によれば、歴史上有名なカエサルは次のような言葉を残しているそうです。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」。塩野はさらに、ルネサンス時代に『君主論』を著したマキアヴェッリが、その書の中でカエサルのこの言葉を、「人間性の真実を突いてこれにまさる言辞はなし」と紹介したと述べています(塩野七生、『ルネサンスとは何であったのか』)。「見たいと欲する」を、「きっと見るだろうと思っている」と言い換えても良いでしょう。私たちは、誰もが多かれ少なかれ、こうやってそれぞれの〝現実〟を生きています。私にとって研究とは、そのことを自分なりに確かめ理解するための手立てだとも言えるでしょう。そしてそれは、研究などと考えるよりはるか以前に経験した、人のあり方の不思議さを垣間見た素朴な驚きに、端を発しているのかもしれません。