歴史民俗学専攻座談会――小松和彦特別招聘教授を迎えて 若い人に説き語る"妖怪文化"のいま(1/2)

1|妖怪の表現のかたち 2|なぜ妖怪を研究するのか 3|妖怪が社会に投げかけるもの 4|口伝えを積み重ね、人は生きる 5|総合的な学問としての妖怪学
 

妖怪の表現のかたち 妖怪はどんな姿か?――形がないもの、形を与えられたもの

小松教授:いま「妖怪」というと、若い人は何を思い浮かべますか。
坂元:ゲゲゲの鬼太郎や一反木綿、砂かけ婆とか、やはりアニメで見ていた妖怪です。
新井:私は古典の「百鬼夜行」の妖怪が最もイメージに近いです。地獄絵図とか絵巻物に描かれた人間とは違う、人間っぽくないもの。
小松:若い人はまず姿形、視覚文化としての妖怪ですね。幼い頃からテレビで植えつけられているから。水木しげるさんとか「ドラゴンボール」、妖怪系のものが登場する絵本やアニメ、コミックなどを見ながら視覚で学習している。
われわれの世代は本とラジオで耳から聞いて、頭のなかにモヤッとつくったものだから形がなくていい。逆に、一反木綿や小豆洗いでも、「こんな形です」「こういう絵です」といわれると何か馴染まない。自分のイメージとはちょっと違うと。ただ、ふつうは妖怪は表現できないものです。民間伝承でも、農村でお年寄りに河童の話を聞き、絵を描いてといっても描けない。形にならないものと形を与えられたもの、その両方が妖怪なんです。
夢枕獏さんの『陰陽師』という小説を岡野玲子さんがコミックで姿形にして、原作とはずいぶん違う形に歪めつつ一つのイメージで形をつくった。ただ、あの形でいいのか、原作者も正直首をかしげる部分もないわけではない。でも、広く流通するとそちらが強くなっていく。
佐々木教授:そう、やっぱり造形は強烈です。
小松:岡野玲子の『陰陽師』によって大衆化し、共有化されるイメージがある。それが非常に強いから、描かせるとみんなそういう絵になる。でも、そんなふうに図像化するのは一つの考えで、本当はもっといろいろな人がいろいろなふうに考えていたはず。そこが小説とそれを映像化することのギャップです。映像の方がうまくいって小説よりよく描けている場合もあるし、その逆もある。

語り伝えをあえて形にする創造力の挑戦

佐々木:「妖怪文化論」の授業で「絵を見せてくれ」というリクエストがすごく多い。つまり若い人は妖怪の絵を見に来ている。でも絵はなくて、遭遇した、音を聞いた、そんなある種の目撃談や体験談ばかり。それを並べても別に妖怪の正体は明らかにはならない。と言うと「本当はそうなのですか」という感想と「こんなはずじゃなかった」という反発と両方ですね。
小松:おじいさん、おばあさんが語る昔話を絵本にする。絵本は室町時代の『御伽草子』くらいから始まった。あるいは小説を映像化する。それは一つの創造力の試みです。ただ、絵にするのはある意味で翻訳だから誤りがたくさんある。それが誤りか正しいかは難しいけれど、翻訳だから必ずズレ、文化の違いが出る。そこが面白くて研究の価値がある。口承、音だけで聞いていたものを絵にするとはどういうことか。見えないもの、ないものをあえて創造しているから非常に面白いんです。
堀田教授:妖怪文化論とは妖怪図鑑、妖怪博物学だという思い入れがあるようです。
小松:動物園みたいに、果てしなく動物の檻が続いていけばいい。
佐々木:それがいちばんの誤解でしょうね。
小松:水木さんは、研究者の柳田國男が絵にはしなかった昔話を、絵にしようと野心を持った。あるいは、小説家が書いたものを映画にする。それが文化の挑戦なのです。映画監督はズレを覚悟でつくっている。テレビと映画でも違う。裏切られるのがいやだから映画は見ないという人もいるし、小説だけでいいと。むしろどのように描かれたのか、自分のイメージに近いのか裏切られたのか、そんな形での評価もある。まったく違うものをつくっているという見方もありますね。

なぜ妖怪を研究するのか 膨大な負の妄想史??人間が捨ててきた陰の歴史を掘り起こす

小松:妖怪学は、妖怪を素材に人間や日本の歴史・文化史を考える学問。それは別に歴史や民俗の独占物ではないから横断的です。実は妖怪をはずしても成り立つ。なぜあえて扱うかといえば、人間が捨ててきた陰の部分だからです。膨大な資料が残り、歴史の一部をつくってきたのに、歴史家も文学者も美術家も妖怪を無視してきた。私たちはそれにとりつかれてきたのに、そんなものは迷信だとか病気だとか、日本人の誤れる汚点だと見ないようにしてきた。いわばネガティブで膨大な人間の妄想史、幻想史です。そこをきちんと見ないと日本の文化は見えない。仏様が偉いことを示すためにどれだけ仏様が鬼を踏みつけているか。せっかくなら神様だけでなく妖怪もやりましょうと。膨大な人間の歴史の残骸。そこを掘り起こしたい。
新井:掘り起こしたらどうなるのでしょうか。
小松:世の中の役に立つかどうかは次の作業です。今の社会にも、外国人労働者のように、「勝ち組」の人には見えない同じような立場の人たちがいるかもしれない。誰かがそれを発見し、研究したデータを使って社会や政治に働きかける、あるいは運動を起こし、彼らを救うことを考えて自ら政治家になる。自分がどれを選ぶかは、その人次第。学生はまず研究かな。卒業したら、それを世間に広めるためにメディアの世界に進むこともある。そういうことです。
新井:いま亀岡の伝承をデータベース化しています。それもいつか何かのためになるかもしれないんですね。
小松:研究は、自分で「きっと役に立つのだ」と思ってやるしかない。誰も使ってくれなかったらマンガに描いてしまおうとか、それはいろいろだと思う。研究者はやはり研究、つまり新しいもの、インターネットに載っていない情報をつくる人なのです。

口承も造形も扱う妖怪学

小松:民俗学って今魅力があるの。
坂本:私は好きです。
新井:ライトノベルの元が神話だと知って、民俗学を専門的に研究したいという1回生もいます。
佐々木:歴史民俗学専攻には歴史好きが多いようです。
小松:歴史は大事です。歴史がなければ妖怪も考えられませんから。歴史を支えるのがある意味で民俗学。
佐々木:ただ、歴史好きで来た学生は、高校の「日本史」のイメージで最初は民俗をバカにしている。授業を受けて「妖怪がいかに奥深いかがわかった」と言う人が多い。
小松:妖怪図鑑から入るのもいいんですよ。でもそれは、歴史や民俗が支えているのですから。
坂本:もっと奥が知りたいです。
堀田:少数民族の民族舞踊を見て、今までの学者はあれはインチキだ、少数民族ではないと言っていた。でも観光人類学の見方に立てば、それもそうなった必然性がある。妖怪も絵になったからインチキだと言わないほうがいい。小松先生の妖怪学は、そういう造形までを全部入れてしまうのがすごいんです。
小松:入れていいんだけれど、ズレも見極めていく。
堀田:総合的な視点がないとできないですね。
小松:ものすごく知識がいります。

次頁